2010年5月26日
演劇ブックレビュー 第20回 北村明子『だから演劇は面白い!』
演劇ブックレビュー 第20回
北村明子著『だから演劇は面白い!「好き」をビジネスに変えたプロデューサーの仕事力 』小学館、2009年
本書はマネージメント、舞台制作の「シス・カンパニー」を率いる北村明子氏が常に興業で黒字を出し続ける理由を書いた本で、劇団の制作をやっている方たちに希望とアイデアを授けてくれる一冊になっています。
第1章 「夢の遊眠社」黒字化が出発点だった
「シス・カンパニー」は元々野田秀樹氏を中心とする「劇団夢の遊眠社」の営業マネジメント・制作から発展した会社で、ここにはその歩みが描かれています。北村氏が遊眠社と関わったのは劇団結成から約10年後で、劇団は大きくなってもバイトをしないと生活できない劇団員をマネジメントして欲しいと依頼されたことがきっかけです。夢の遊眠社のおもしろさに惹かれた著者がこれを引き受けたことが、プロデューサー業のはじまりになりました。
北村氏のマネジメントの方法は学生演劇の延長だった劇団を変え、3年目で売り上げが5000万円を超えるまでになり、シス・カンパニーとしてマネジメント部門が独立させます。この大幅な利益増には、以前女優だった北村氏の理想であった「売り込みのできるマネージャー」として様々なテレビ、映画等に劇団員を売り込みがありました。また、どんぶり勘定ではない経営をするために事務所を独立させたということです。
第2章 舞台をプロデュースする-NODA・MAPの成功
マネジメントの成功は同時に劇団員が揃っての公演が難しくなるという矛盾も抱え、夢の遊眠社は解散に至ります。シス・カンパニーは元・劇団夢の遊眠社のマネジメントとして存続しますがそれと同時に、劇団を持たずして野田秀樹氏のやりたい舞台を上演する「企画制作会社NODA・MAP」を立ち上げプロデューサーとして二人三脚で野田秀樹氏の舞台を支えることになります。
第3章 私が観たい舞台をつくる-シス・カンパニー制作はじまる
これまでは野田秀樹氏を支えるプロデューサー、だった北村氏が2002年から野田秀樹氏とは関係ないプロデュースした舞台を制作することになります。
ここまでが北村氏のプロデューサーとしての歩みになります。
第4章 シス・カンパニー躍進の秘訣
芸能界の付き人的なマネジメントを良しとせず、俳優の売り込みを積極的に行い仕事を獲得する一方で、ビジネスライクなつきあいを事務所の人間に求めます。利害がある人間関係だという線引きをして、なれ合いを許さないところがどんぶり勘定を許さないところにも通じます。
第5章 私の芝居づくりの法則
ここではチケット代の設定方法などシス・カンパニープロデュース作品のノウハウが紹介されています。北村氏の制作は普通の会社の製品開発とかわらない一般の人間から観ると常識的な考えが貫かれています。赤字を出さない、なあなあですませない、利益はスタッフ等に還元するなど、つい妥協しそうなところを妥協しないところが評価がい舞台を赤字を出さずに制作し続けるコツのようです。
第6章 役者を「芸能界」で生きさせる
ここでは段田安則、高橋克美、浅野一之、堤真一という人気俳優のマネジメントで各俳優ごとに気に掛けていることなどが述べられています。
第7章 思い通りにいかないから舞台も人生も面白い
北村氏の舞台に対する思いが述べられています。
北村氏の会社経営のキモはこの社長の父親の仕事が税理士だったというところだと思います。「明朗会計」をモットーとしていた父親譲りの「明朗経営」。言いたいことははっきり言う。身の丈に合わない経営はしない。というところと演劇が大好きという感性が結びついて、実力派俳優を抱える芸能事務所であると共に、質の高い舞台を手がける舞台制作会社を成功させているのです。制作にも参考になる内容。本書のような本が多く出版されることを望みます。
北村明子著『だから演劇は面白い!「好き」をビジネスに変えたプロデューサーの仕事力 』小学館、2009年
<関連本>
高萩宏『僕と演劇と夢の遊眠社』日本経済新聞出版社、2009年。
(2010年5月26日)
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2006年12月25日
演劇ブックレビュー 第3回 阿坂卯一郎他(編)『アマチュア演劇 演劇・けいこの基本』
演劇ブックレビュー 第3回
阿坂卯一郎他(編)『アマチュア演劇 演劇・けいこの基本』青雲書房、1972年
本書は、アマチュア演劇=高校演劇における稽古から、スタッフワーク、実際の公演の進め方、ひいては日本の演劇史まで幅広く取り上げた書です。初版からもう27年たっているので時代に合わないところもありますが、演劇における基本の稽古の重要さと、そのノウハウはよくわかると思います。
なにしろ私が生まれる前に書かれた本なので(平成4年に印刷されているのでまだあると思うのですが…私は古本屋で買いました)、かなり時代に合わない部分が多いですが、今でも使える部分は多くあります。それを演劇の稽古の方法が進化していないと考えるか、時代を経ても演劇の本質的な能力というのは変わらないのか、わかりませんが。
まえがきは「演劇を稽古する人々へ」として、心構えなどが書いてあります。日本人の自己表現の下手さは有名だが、演劇の稽古はそれを克服できるものでもあることは、とりたてて取り上げることもないと思いますが、対面恐怖症にロール・プレイングの療法が効果的であるように、自己表現がうまくなることは確かだろうと思います。
第1章は「日常稽古」として、発声から寸劇を用いた稽古まで幅広く書かれています。特に発声訓練の部分は特筆すべきもので、発声のメカニズムに立ち入っての説明は、地道な発声訓練が重要であることをわれわれに教えてくれます。呼吸訓練はいささかスパルタ的に見えますが、重要なので仕方ありません。よくなんの訓練もせずに「そのうち」的にすぐ舞台に上げる劇団がありますが、台詞の言い回しや動きなどはともかく、発声の訓練は必ずやるべきだと思います。それができているかどうかは役者のスタートラインを決めるもので、できていない役者は本番直前に声が枯れて稽古が無駄になったりと、のちのちまで影を落とします。
発声ではおなじみの「あえいうえおあお」から、五十音すべてに「例文」があったりと、内容が豊かです。どれを用いるかは劇団にもよりますが、「あえいうえおあお」や早口言葉などのいわゆる「無意味綴り」と、これまたおなじみの「あめんぼ赤いなあいうえお」などの「有意味綴り」に分けられます。発声のウォームアップとして効果的なのはもちろん「無意味綴り」の方でしょう。「あえいうえおあお」は声と同時に、顔の筋肉をほぐす(「あいうえお」ではなく「あえいうえおあお」なのはそのためでしょう)効果があり、アップには最適だと思います。しかし問題は「無意味」であるために、あまり楽しくありませんからついつい流してしまいがちになる点でしょう。でもここはみんなでWAになっておどる…いやお互いが見えるようにしてしっかりやるべきです。読む速さや長さを変えたりするのはやっている劇団もあるでしょうね。問題は「有意味綴り」の方ですが、はっきりいってこれはわざわざ稽古用のを用いる必要はないのではないかと思います。あまりウォームアップの効果は望めませんし、「あめんぼ赤いな…」を棒読みに読んでいる人を見ると、何をねらってやっているのかわかりま(B せん(でも感情込めて読まれても困りますが)。それよりも役者なら自分の台詞を少しでも練習する方がいいと思います。スタッフで稽古に参加している人は、自分の好きな台詞や、本書にも載っている詩の朗読などが思わぬところで役立つのではと思います。
その他体操やエチュードのやり方などは少し時代遅れです。体操はわざわざ絵入りで説明していますが、ラジオ体操でも十分です。でもラジオ体操を無造作に取り入れるのではなく、ストレッチの本などを読んだ方が身体を痛めません。身近にダンスをやっている人がいれば、ダンスのストレッチはもっとも優れたものの1つだと思うので、教えてもらうといいと思います。
第2章では「劇づくり」ということで、スタートから上演までの注意点が細かいプロセスで書かれています。宇野重吉氏の引用で始まる本章は、高校演劇の顧問の先生などの意見の引用が多く、役立つ面があります。演出プランの立て方や出入り表、道具リストなどは、キックオフ段階の劇団にも十分有効です。読み合わせの際に、台詞のどの部分が重要かを考えるという榊原政常氏の主張(p.120)は的を得たものといえるでしょう。台詞の理解度はこの点に一番はっきり出ると考えてもよく、演出でここを押さえることが、また役者でここを押さえられるかどうかは、それぞれの能力の指標になると思います。舞台上の注意のところは経験からの指摘が多く、役立つ人には役立つと思います。
後半はスタッフワークについてで、基礎的な用語やテクニックを覚えるにはなかなか有効です。失敗のエピソードの引用は言い回しが古く(「ケチョンとなった」「エレキバンドはイカすがエレキは苦手だ」など)、かえって新鮮です。また高校演劇ならではのエピソード(女子はにきびがでるからメイクを薄くしてという、など)は、僕にはほほえましく感じられました(←齢)。
第3章の「はなしことばと日本の演劇史」は、あまり実践的なものではありません。役立つ人には役立つかもしれません。
本書の意義を一言で表すなら、「基礎訓練の重要性」といえると思います。著者の意図は別にある(「高校演劇に最適な教則本」など)と思いますが、何しろ20年以上前の本ですから。いくら演劇にかんする情熱があっても、現在の高校生が見て、「これはいい、すぐにやりたい」と思うとはとうてい思えません。それよりも重要なのは、昔の高校生でさえ、本書に紹介されているような高度な訓練(本書は実際の高校でのノウハウがかなり引用されています)が行われているという事実です。それは安易な稽古をする劇団に警鐘を鳴らしています。どんなによいストーリーでもそれを演じるのは役者で、その能力が観客の満足度に直結するというのは、時代が変わっても変わらないと思います。本書で紹介されている基礎的な部分と、現代の科学的なトレーニング法をあわせて取り入れることが、役者の十分なスキルを維持するのに欠かせないと思います。その意味では、本書のような本が多く出版されることを望みます。
(1999年2月1日)
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演劇ブックレビュー 第2回 佐々木晃彦(監修)・山田幹弘(編)『芸術経営学講座3 演劇編』
演劇ブックレビュー 第2回
佐々木晃彦(監修)・山田幹弘(編)(幹の「干」が旧字体の「羽」)『芸術経営学講座3 演劇編』東海大学出版会、1994年
「芸術経営学」という新しい分野は、演劇の発展に貢献する、大変有効な学問であると思います。しかしこの「演劇編」については、劇団四季さんのような大劇団を対象にしており、本当に芸術経営学の知見を欲しているような、地域に根ざした活動をしている中小の劇団には、役立つことは少ないといわざるを得ません。しかし本書の意義自体は大きく、実際に役立つ箇所もあります。
監修者の担当する序章「いまなぜ芸術経営学か」は、日本の演劇界、もっといえば芸術界の直面する現状がよく叙述できていると思います。特に「地方の独自性を明確にする“土着性を伴う多様な芸術文化の花”が咲くことが地域活性化の原点であり、文化国家日本の出発点ともなる」(p.6)という主張は大変うなづけるものです。そして行政サイド・民間企業サイド・芸術団体・芸術家サイド・市民サイドが一体となった活動、それを可能にする人材の育成が重要だとしています。
このままいけば大変役に立つ本だと期待して第1章に行くと、いきなりさまざまな劇場のデータ集のような章になってがっかりします。関東にどんな中小の劇場があるかをちょっとだけ知りたい人は読んでください。第2章は「演劇制作のための組織」というタイトルで、経営組織論(一応)の私としては注目してしまうのですが、執筆者がもと劇団四季の社員なので、大きな組織のことを細かく説明しています。この組織図に属する社員の人数すら、観客が集められない劇団がたくさんあるという現実は考えられていないようです。第3章はその制作バージョンで、とりあえず、動員率75%で1億円以上の興行収入という目標が立てられる劇団なら役に立つでしょう。
第4章は広報活動なのですが、これも総宣伝費を900万円強使うんだ、という劇団なら読んでみてください。第5章は、公演の利益(または損失)が「収入-支出」から成り立つ、という至極当たり前のことを詳しくいっています。しかし演劇は金がかかり、その管理をきちっとしなくてはいけませんよ、というメッセージは伝わってきます。
第6章は「劇場のメカニズム」として、劇場の成立からその設備までが詳しく書いてあります。演劇を研究する人には有効かもしれません。また3,4節は舞台スタッフの用語集のようになっています。そして5節の最後に収支表が出ていますが、どうも単位は(万円)となっています。それがなければ結構実用的…これはいいすぎです。すみません。しかしこの章は実用性という意味では全体の中では高く評価できます。第7章はホールの運営にかんする章で、後半の民間ホールの事例は役に立つところもあるかもしれません。第8章は法律や契約にかんする章で、そういうのが必要になるほど大きくなるまでは役に立ちません。
第9章は「演劇祭-演劇による街づくり」です。本章がこの本の白眉といえるもので、ここだけは自信を持っておすすめできます。中小の劇団が集まって、また他の地域からも劇団を集めて開催される演劇祭は、地域の活性化と演劇文化の振興を達成する大変有効な手段だと思います。海外の演劇祭の説明はおいといて、日本の演劇祭について、富山県、長野県、福岡県の演劇祭を取り上げています。特に東京国際演劇祭の詳細な事例とその問題点の整理は、地域で演劇祭を開催する際の示唆に富んでいます。そして演劇祭を成功させるポイントを整理し、そのためには成功させる情熱が不可欠だと結んでいます。インフラの問題のほかに人手がかかる演劇祭には、行政の後押しとボランティアの有効活用が不可欠だと思います。しかしそのような資源も効率よく配分しなければODAと一緒です。よく考えられた運営が求められますね。
最後には監修者あとがきがありますが、監修者の思想がよくうかがえます。特に日本の事情を中心に紹介し、独自の演劇運営のための学問を模索しようとしている姿勢は高く評価できるものです。問題はその思想が執筆者全員に浸透していたのか、ということでしょう。また、この本はそもそもどのような人々に役立てて欲しいと願っているのでしょう。率直に言ってこの本が役に立つのは、すでにある程度の黒字を出すことのできる大劇団に限られ、そのような劇団がより効率よく収益を伸ばすことができても、はたして日本の演劇文化に大きく貢献するのでしょうか。重要なのは地域に根ざした演劇活動が文化レベルの底上げをし、それぞれの地域の独自性をいかしながら、情報を発信していくことだと思います。そのためには「演劇に対するたゆまぬ情熱はあるが、演劇では食べていけない」と悩んでいる劇団が非常に多いことを、まず認識すべきではないかな、と思いました。
しかしこの本は読まなくていい、といっているわけでは決してありません。大劇団や劇場の運営ノウハウを知るにはこれ以上の本を探すのは困難ですし、中小の劇団にも役に立つ箇所はたくさんあります。また「芸術経営学」がもっと発展すれば、必ず中小の劇団の運営に役立つ研究が出てくるはずです。そういう意味でも、このような本がもっと出てくることを望みます。
付記:この『芸術経営学講座』は全4巻あり、美術・音楽・演劇・映像から構成されています。特に4巻の「映像編」は、大変役に立つ良書だと、友人の映画産業の研究者がいっていました。
(1999年1月28日)
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演劇ブックレビュー 第1回 平田オリザ『演劇入門』講談社現代文庫、1998年
演劇ブックレビュー 第1回 平田オリザ『演劇入門』講談社現代文庫、1998年
平田氏は現代演劇の一つの潮流である「現代口語演劇」の旗手であるとともに、すぐれた理論家でもあります。そのことを証明するのが本書であるといえるでしょう。
本書は演劇人、主に演出家がどのように戯曲を書いていくかという大きな問題に意欲的に取り組み、氏のノウハウを惜しげもなく披露するとともに、演劇という活動の背後にある論理を明快に、わかりやすく説明しています。その主張の根幹となるのは、「演劇は、観客の想像力に委ねる部分の多い表現」(p.69)であり、表現者と鑑賞者の間での「内的対話によるコンテクストの摺り合わせ」(p.191)ということです。
本書を手に取ると帯には「画期的演劇論=私はいかに観客を騙すか」と書いてありますが、これは全くの誤解です。どんなに平田氏の批判的な立場に立っても、本書を読んで氏が観客を騙そうとしているとは思えません。本書を出版した出版社の意義は大きいですが、これはいただけません。
第1章では、「演劇におけるリアルとは何か」という問題が提起されています。それは演劇における「ダメな台詞」を考えることで、われわれにもわかりやすくなっています。よくできた例です。そして演劇が、作り手と受け手(観客)の相互作用であるという主張が展開されています。「伝えたいテーマはないが、表現したいことは山ほどある」という氏の主張は、賛否両論あるとは思いますが、節ごとに断りを入れながら1歩1歩進んでいくような論理展開は、好感が持てます。
第2章では、平田氏の戯曲やほかの戯曲を具体的に用いながら、戯曲を書く前の設定を考えるプロセスを説明しています。このようなノウハウを披露して本当によいのかと思いますが、氏の「戯曲術というのは、普遍化されずに、一子相伝のような形で今日に至っている」(p.27)現状を憂いてのことだと思います。ただそれを取捨選択するのは全国の戯曲家一人一人であって、平田氏のやり方をただ鵜呑みにせず、自分にあったやり方を考えるのがよいと思います。
本章では2つの概念が提示されています。「セミパブリックな空間」と「想像力の方向づけ」です。「セミパブリック(semi-public)」というのは演劇的な架空の空間と現実の空間のバランスをとることをいっています。考えてみれば演劇的な空間はみんなセミパブリックということができますが、演劇的な考え方に現実味を加えるのがこれまでのやり方(演劇→現実)なら、平田氏は現実的な考え方をベースに、少しずつ演劇的な背景を加えていくやり方(現実→演劇)といえるかもしれません。
「想像力の方向づけ」は、これまでの観客の思うままに想像を広げてもらうのではなく、ある程度それを方向づけて、演出のねらうところに観客の想像を導くという考え方で、それを念頭に置いての、演劇の冒頭での明確な問題提起を主張しています。これは観客に話の筋を分かりやすくする意味では非常に意義のある主張といえるでしょう。しかしこれも戯曲の性質に大きく依拠するもので、それをあとまでとっておいたほうがよい場合もあるでしょう。
第3章では実際に戯曲を書き進めるプロセスを紹介しています。人物相関図やプロット、エピソードの考え方は、これまで誰もが知りたかった事柄だったと思います。そして戯曲を書くのに「想像力・記憶力・観察力」という3つのカテゴリーに分けられるとしています。そして「もしも(戯曲を)書き始めたら、とにかく最後まで書ききること」という氏のアドバイスは、戯曲を書いたことのある人なら、うなずけるものでしょう。
本章の後半は、言語学の知見も用いて、「対話劇は可能か」という問題を考えています。「話しことばの地図」「冗長率」などの概念は多少難解で、これまでの章に比べて読み進めるのがしんどいですが、氏の戯曲の背後にある豊富な理論の一端をうかがい知ることができます。がんばって読んでみましょう。
第4章は演出と俳優の関係について書いてあります。本章のタイトルにも使われている「俳優は考えるコマである」という氏の主張は聞いたことがある人も多いでしょうし、その中の大半の方は「なにぃ?」と思われたと思います(私も役者だったので、そう思いました)。本章ではそのことについて説明してあり、演出-役者という絶対的な階層関係を打破し、なおかつ集団としてのまとまりを出していくために演出として必要な「明確な線引き」(p.180)なのだそうです。だからといってわざわざいろんなところでいわなくてもいいとは思いますが、演出と役者の関係についての主張は非常に共感できるもので、それを考えるきっかけをわれわれに与えてくれます。
そして本章と終章において打ち出されている概念は「コンテクスト(context)の摺り合わせ」です。役者と演出家は似たようなコンテクストを持っているべきであり、それを摺り合わせる作業が演劇を作るのに重要だということです。この部分もかなり難解ですが、重要なことをいっているのでがんばって読んでみましょう。言語のコンテクストと身体のコンテクストに分けていますが、その両方(台詞と動作)についての「考え方の枠組み」と言い換えられるかもしれません(註1)。人間はその枠組みによってものごとを考え、判断するので、その考え方が演出と役者の間で似ており、共有できるというのが重要なのでしょう。しかしそれがわかっていてもできない場合、あるいはできていると思っていてもできてないと演出にいわれるのは、役者なら誰でも経験することでしょう。その際重要なのは、役者は常に自分の演技(台詞や動作)を自分で意識しながら(モニターしながら)演技することであり、演出は役者に自分の考え方を的確に伝えながら、役者とコミュニケーションして考え方を共有しあうことだと思います。
そしてコンテクストの摺り合わせは観客との間でも行われます。これが上演の際に行われる重要なことです。「多様な観客に対して、多様なコンテクストの共有の可能性を開きつつ、自らのコンテクストを開示していくこと。ここに現代演劇において戯曲を書くことの最大の困難の源泉がある」(p.192)ということです。終章では高校生がリアルな台詞が書けないことにふれ、ひいては演劇の役割について主張が述べられています。氏の演劇への情熱が感じられます。
本書は演劇論の書としても、また戯曲の書き方を示した書としても、完成度の高いものといえるでしょう。「現代口語演劇」に関心のない方でも、氏のノウハウをかいま見るだけでも読む意味はあると思います。ただ、あまりに明快にそれを開示してあるために、多くの戯曲家がそのやり方を取り入れてしまうと、多くの演劇が同じようなものになってしまうという危惧を抱いてしまいます。また本書のノウハウはある程度、「現代口語演劇」に特有のものもあり、それと質的に異なるスタイルの演劇には向かない場面もあると感じます。戯曲家は自分の作風をよく理解してから、自分にあった部分だけを取り入れることを念頭に置くべきでしょう。
しかし、本書がまさに画期的な演劇論の書であることは疑いありません。また新書という安価なメディアで出版されたことは、大変有意義なことであると思います。このような書が今後も出てくることを望みたいです。
註1:「考え方の枠組み」という概念は、心理学では「スキーマ(schema)」といわれます。くわしくは同じ講談社現代新書から出ている、加護野忠男『企業のパラダイム変革』(1988年)を読んでみてください。経営学の本なので、演出と役者の関係を考えるヒントがあるかもしれませんよ。ちなみに著者は、私の先生です。
(1999年1月20日)
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